Veterinarian's interview

インタビュー

人に対しても動物に対しても「気遣い」はとても大切です。そのことを動物とのふれあいを通じて改めて認識して欲しいですね。 人に対しても動物に対しても「気遣い」はとても大切です。そのことを動物とのふれあいを通じて改めて認識して欲しいですね。

人に対しても動物に対しても「気遣い」はとても大切です。そのことを動物とのふれあいを通じて改めて認識して欲しいですね。

センターヴィル動物病院

幅田 功院長

センターヴィル動物病院

幅田 功院長

自由が丘駅前の喧騒から少し外れた住宅街に佇むセンターヴィル動物病院は、昭和の時代から長い間、この地域の獣医療を支えてきた。病院の大黒柱として敏腕を振るう幅田先生に、自身の考える獣医療についてお話を伺った。

contents 目 次

獣医師を志したきっかけ

どこの子どもも同じですけど、小学校の時に犬や猫を拾ってくるじゃないですか。私もまさにそんな子どもだったのですが、とても理解のある両親や兄弟だったもので、例えば「元の場所に戻してきなさい」なんてことは言われなかったんです。環境に恵まれた、と言ってもいいかもしれませんね。

ちなみに、同じように犬や猫を拾った他の友達はそうではないことが多かったようで、捨てられた動物が可哀そうだと思って拾っても、家族の許しがなければ自分でまた捨てに行かなければいけない。こんなに残酷なことはないですよ。

その頃のことを思い出して言うわけではありませんが、子どもはみんな良い子なんですよね。無垢で優しくて。それをだめにしているのは我々大人なのかもしれません。そのことを本当に良く考えないと、良い社会は出来ないように思います。

話を戻すと、私の家庭では先程の話のように、そういう意味では恵まれていましたので、身近に常に動物がいたというのが獣医師を志したきっかけですね。まあ拾ってきた犬の世話は、私より母のほうが一生懸命やっていましたが(笑)。

学生時代に苦労したこと

苦労したことはなかったですね。というより、苦労したとは思いませんでした。小学校の頃の勉強の方がよっぽど苦労しましたよ(笑)。

中学校に入る頃には「獣医になる」という目標が出来ていましたし、大学に受かってからの獣医学の勉強は、辛いことは全く無かったですね。趣味に打ち込むのと同じような気持ちで勉強していたように思います。それができたのは、やはり勉強が面白かったからだと思います。

まあ、苦労したと言えばアメリカに行くまでは大変でしたね。私は学生の頃から渡米する伝手を探していて、知り合いから紹介してもらったのが、向こうで私のお世話をしてくれた先生の知り合いの先生の奥さん、の、お母さんでした。知り合いとは言えないような遠い繋がりでしたが、結果的にサンフランシスコの病院で勉強させていただけました。

獣医療研究のため渡米した当時の日本の獣医療と、アメリカへ渡ったきっかけ

大きな動物、牛、馬等の家畜に対する治療の勉強もやりました。昭和40年頃は、やっと食糧事情が良くなっていた頃なのですが、それまでは日本の食糧事情を良くするために獣医師は教育を受けていたんですね。

牛乳を始め、牛肉、豚肉、鶏肉、つまりたんぱく質を取れるものを沢山生産して、子どもたちを育てようというのが国の政策だったわけです。そう考えると現在とは獣医師の立ち位置はずいぶん違いましたね。もちろん今でもそれは大切なことですし、当時は小動物の治療だけでは仕事が足りなかったというのが実情でもあります。

そして、こういった状況は私がアメリカに渡った理由でもあります。日本では学べる学問に限りがあったからなのです。例えば外科治療の書籍だと日本だと1ページで終了です。対してアメリカのものは、それこそ鼻先から尻尾まで、あらゆる部位の様々な外科のノウハウが書かれている。将来、自分が好きだった犬や猫の医者になるんだと志して大学に入ってきたわけですから、大学で学べる分野だけでは不十分だったわけです。それがアメリカに渡った大きな理由ですね。

渡米経験を通して、40年前の当時感じたこと

40年前とは言っても、本当に自分の感覚ではついこの間のことのようですよ。よく考えてみたら40年過ぎていたんですが…。まだ海外渡航者が年間140万人程度だった頃です。

確か、当時は成田空港がまだ完成していなくて、羽田空港から旧式のジャンボが出ていました。高度成長の途中の頃です。 向こうでは獣医療の面はもちろん、その他にも色々なことに刺激を受けましたね。土地や食べ物も豊富で、果物やお肉、乳製品等も安くて驚きました。今でもそうですが、アメリカの工業力や資源の豊富さ、また人体そのものにしても、その強さの源を学ぶべきかもしれませんね。

人間的なところの話をすると、これは文化の面ですが、失敗した人を無下にしない文化があります。一度失敗して反省し、悪かったところを改善した人が一番良く物を知っているという考え方です。何が失敗だったかを皆で共有して、正解に向かおうとする文化があるように感じました。

人と動物との関わりと共に発達していく獣医療

アメリカの病院に勉強に行った際に、眼科や整形外科、鼻、口、耳、頚椎、胸椎、手足等、体の至るところ、当時日本でやっていない部位、分野の治療を沢山やっていました。現在は日本もだいぶ追いついていますけどね。1973年と言うとずいぶん昔のように聞こえますが、ついこの間のことですよ(笑)。

これは昔から変わらないことですが、医療の発達の仕方は人と動物との関わりにも関係していて、例えば日本と比べると、アメリカの人口は3倍近くありますよね、だけど犬のいない家はほとんど無いんです。特に地方なんかに行くと必ず一家に一頭は飼育しています。つまり、単純に診療対象が私たちの何十倍も多いわけです。

また、気候の違いから、動物が長生きしやすい地域等もあります。例えば北部に行くと蚊がほとんど見当たりませんので、フィラリアという病気が非常に少ない。気候、風土、国情の違いというのは、政治経済だけでなくあらゆる面で影響してくるんですよね。

捨て犬や捨て猫がいない、アメリカの文化

これは文化というか動物愛護の面の話ですが、アメリカでは捨て犬や捨て猫がいないんですよ。全くいない。

そういうことをさせないようにするSPCA(動物愛護協会)という組織があるんです。職員がピストルや警棒、手錠なんかを持ってパトロールしてるんですよ。家の中に住まわしていないワンちゃん等がいると、飼い主さんが捕まってしまうわけです。

また、向こうではペットショップではなく、牧場のようなところで、州から指導を受けたブリーダーの方から動物を譲り受けることが多いです。イギリスでは犬を買うのに面接が必要なくらいです。日本ですと、未だに動物の店頭販売をやっていますからね。ウインドウで見て動物を買うというのは、恐らく先進国では日本だけだと思います。欧米の人が見たらびっくりしますよ。

無償で運んでくれる動物の救急車

先程、日本の獣医療がだいぶ欧米のそれに追いついたと申し上げましたが、やはりまだ至っていない部分も多くあり、例えば動物の救急車等がそれにあたります。交通事故等で動けない、すぐに病院に運べない状態の動物を無償で運んでくれるんですよ。

国内でも、そこまで大がかりな治療器具が無かった頃ですと患者さんの家まで往診に行くというパターンはありましたけどね。何しろ検査や治療用の器具が少なかったため、我々獣医師は飼い主さまのお話を聞いて、動物の顔色を診ることで病状を把握する訓練を積んでいました。

今でも電話で飼い主さんの話を聞けば恐らくどういう状態か、というのは判断できます。と言っても、現在ではそういった診療法方だけでは宜しくないので、色々な医療器具でその診断の裏づけをとって飼い主さまに見せて差し上げることが必要ですよね。

口腔内歯科に力を入れる動物病院

その分野に関しては、専門的に始めるのが他の医院さんと比べて早かったのもありますし、海外で出版された書籍の翻訳をやらせていただいたこともありました。そういう意味では、海外で学んだ事が国内でのニーズにあっていたのかもしれません。しかし当院では口腔内歯科に限らず、色々な診療を行っていますよ。膝の手術、泌尿器の手術等も行います。

地域に対しての思い

私の出身は洗足(せんぞく)といって、このすぐ隣の町なんです。小学校から大学までずっとこの地域で過ごしました。生まれたところにずっといるわけです。

今の人はどうかわかりませんが、我々の年代の人はこの年になると自分が生まれたところに帰ってくるなんじゃないかな(笑)

よく知らないところで生活するよりは、自分が見知った場所がやはり過ごしやすいですしね。

当院の患者さまも、昔はその地域の方がほとんどだったのですが、現在では他の患者さんからの紹介であったり、遠方からいらっしゃる方も多いです。
この辺りは今ではすっかり住宅地になっていて、静かで住みやすい地域ですが、昔は多くあった畑がすっかりなくなってしまったのはちょっと寂しい気もしますね。

飼い主さまへのメッセージ

一番お伝えしたいのは、皆さんお忙しいとは思いますが、自分の可愛がっている動物と一緒に過ごす時間をできるだけ多く作ってあげて欲しいということですね。それが唯一のお願いです。そうすることで健康管理にも繋がりますし、動物の長生きにも繋がります。また、動物と一緒にいることで学ぶことも多いと思います。

人に対しても動物に対しても、「気遣う」ということが大切だと考えています。その事を、動物とのふれあいを通して改めて認識して欲しいと思います。