院長/菅野 信二 へのインタビュー (1/3)

菅野 信二SUGANO SHINJI
動物を助けることが人も助けることになれば嬉しい
兵庫県三田市において、多くの獣医師と最新の設備を擁し、日々の治療に取り組む南が丘動物病院。それを束ねる院長の菅野先生は、心から動物を愛する温厚な紳士である。「環境に恵まれた」「人に恵まれた」としきりにおっしゃる謙虚な姿勢こそが、成功の秘密なのだとお見受けした。
ご自身が国内で初めて学会発表された手術例についても淡々と語られ、自慢するような素振りは微塵も感じさせず、「好きで始めた仕事」「自分で選んだ仕事」だから何事も苦にならないと穏やかにほほえむ姿が印象的だった。そんな菅野先生の歩まれた道のりと現在の病院の様子などについて、じっくりと語っていただいた。
プロフィール
- 菅野 信二
-
- 出身地:大阪府大阪市
- 趣味:読書、ゴルフ
- 所属 / 役職
-
- 南が丘動物病院 / 院長
- 所属学会
-
- 兵庫県開業獣医師会学術委員
- 日本獣医再生医療学会理事
- 日本動物病院協会外科認定医
- 日本獣医麻酔外科学会
- 日本獣医がん学会
- 経歴
-
- 1984年 日本大学大学院修了
- 岸上獣医科病院、山尾獣医科病院で勤務
- 1988年8月 南が丘動物病院を開設
インタビュー
-
まず、菅野先生が獣医師を志された背景についてお聞かせください
-
子どものころからいつも近くに動物がいて、自分でもこれまでに様々な動物を飼ったものです。根っからの動物好きでしたので、動物を助けてあげられる仕事に就きたいと思っていました。
獣医学科を卒業した人は、大動物診療、小動物診療の他に公務員や製薬関係、食品関係などの方向に分かれるのが普通です。しかし、昔は小動物診療で食べていくことが厳しく、どの道を選ぶべきかと少し迷いました。在学中に父を亡くしましたので、よりシビアに人生設計を描く必要があったわけですが、母と兄の応援によって、自分の念願であった小動物の臨床に携わることが出来るようになりました。
-
卒業後は、故郷の大阪市で勤務されたのですね
-
初めに勤務した岸上獣医科病院は、全国でも小動物診療の草分け的な存在でした。院長先生は特に外科医として秀でており、アメリカの学術雑誌にも論文を投稿されていました。また手術器具、診療器具をつねに考え発案、特許を取得するようなアイデアマンでもあり、私も多くのことを学ばせていただきました。獣医師としては11PMに出演するなど、はじめてマスコミに出た人でもあります。卒業後にご縁あって勤務させていただいたのがこの岸上獣医科病院で、本当によかったと思っています。
現在は息子さんの代になり獣医再生医療の先端治療も行っています。当院でもご指導いただき骨折や骨癒合不全、椎間板ヘルニア、また腎不全、肝硬変、自己免疫性疾患、膵炎などにも活用しています。
-
研修医時代の出来事の中で印象に残っていることはありますか?
-
大学卒業が近づき小動物臨床にすすむかどうか進路に悩んで相談にいったときに、岸上先生とこんな会話があったことを覚えています。
「どんな世界でもトップになればメシは食える。トップになりたいか?」
「はい、なりたいです」
「よし、俺がトップにしてやる」
カッコイイ先生でしたね。労苦はいとわず、夜間救急でも何でも全部受けておられました。住み込みで修行している我々研修医も皆集まって、先生の診察も見学すれば、手術の助手も行い、何でも現場で覚えていきました。とくに先生の手術を実際にたくさん見せていただいたことはすごい財産になっています、当時一般的に2年間の研修で開業する方々が多かったわけですが、開業までに手術1000頭、研修3年間と言われて、みっちりときたえていただきました。学術書も十分になかった時代ですのでこの病院の実地で育った同僚たちは活躍しているものが多く卒業後もよいお付き合いをさせていただいています。

- このページをみんなにシェア!
- ツイート
-